飴ノート

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【飴ノート】”普通”ってなんだろう

日本の教育システムで重視されるのは”平等”だ。生徒みんなが平均的に成長していくことが好ましく、誰か一人が秀でたり、劣ったりすることを良しとしない。

しかしこの「平等社会」が他人への思いやりを損なうシステムになっている。

以下は中室牧子氏の有名著書「学力の経済学」より抜粋だ。

学校で平等を重視した教育ー「手をつないでゴールしましょう」という方針の運動会などーの影響を受けた人は、他人を思いやり、親切にし合おうという気持ちに「欠ける」大人になってしまう

子供の学力には、遺伝や家庭の資源など、子ども自信にはどうしようもないような要因が大きく影響しています。しかし、平等主義的な教育のもとでは、こうした現実にはあまり目が向けられることはありませんでした。

この結果、子どもは、本人が努力しさえすれば教育によって成果を得られる、別の言い方をすれば、成功しないのは、努力をせずに怠けているからだと考えるようになってしまい、不利な環境におかれている他者を思いやることのないイヤなタイプの人間を多く育ててしまっているのです。

私も学生時代、○○君や○○さんを見習いなさいと、よく言われたきたものだ。成績が悪いと成績の良い子が称えられるだけではなく、生成の悪い子は”怠け者”の烙印を押されてしまう。

 「普通にやっている人は努力できる」

 「努力しないのは普通にやっていないからだ」

 「結果が出ていないのはサボっているからだ」

行きすぎた平等社会によって上記のような考え方が浸透している。これは学生を卒業して社会人になってからも同じだ。仕事ができる社会人は、そうでない社会人に対してこう言うだろう。

 「普通に考えたらこうやるよね。なんで普通にやらないの?」

入社して数年、色んな人に言われてきた。言っている人も多ければ、言われている人もさてブログタイトルにものせたこの”普通”という言葉。日常会話でもビジネスの会話でも頻出するであろうこの言葉。一旦立ち止まって、この普通という言葉について考えてみよう。

×「普通は」

×「平等社会というシステムの住人にとって、普通は」

○「平等社会というシステムの住人 かつ 家庭資材が十分にあり、親が子どもに対して理解がある家庭の住人にとって、普通は」

参考の注釈でも記載したように、能力の大部分は家庭資材に依存する。成長できる環境、体験を得ることは能力開発に大きな影響を与え、それを得られるかどうかは両親の資質などの家庭資材によってほぼ決まる。教育熱心な親は若い頃からどんどん子供に経験を積ませようとするし、また子供との時間も大切にするだろう。

繰り返しになるが、今の社会のシステムで求められるのは、学生でも社会人でも”普通”の人だ。しかし、まとめていると普通でいられるかどうかは自分でコントロールできない問題である。それなのに「普通じゃない」と言えるのはいやいやどうしてだろうか。

普通という言葉は便利だが、平等社会において使い方を誤ると相手を深く傷つけてしまいかねない。むしろ使って誰かの得になる場面があまりイメージできない。

「学力」の経済学

「学力」の経済学

 

 

この記事のまとめ

<まとめ>

平等社会が他人への思いやりを損なわせている

”普通”とは家庭資材に恵まれた人にとっての普通